育児は「育自」だった 〜序章〜

2020年もあっという間に残り1ヶ月をきってしまいました。

毎度のことですが年末になると「今年も時間が経つのが早かったなー」なんて思うのですが、今年は本当にあっという間すぎました(笑)。なんでかというと…


2020年1月

妊娠8ヶ月。後期づわりに悩まされる。年末年始は愛媛に帰省したかったが、2019年末に「前置胎盤」というハイリスク妊娠の診断が下ったため、念の為帰らず。お陰様で元旦の夜は一人で過ごすこととなる(旦那氏は義父の実家へ行っていたため)。

ちなみに、この頃からコロナに関するニュースがちらほら報道されるようになる(当時はここまでの規模になるとは思っておらず)。


2020年2月

予定帝王切開だけど、急に何かあった時のことを考えて、とりあえず手術と入院の準備に勤しむ。前置胎盤の場合、急な出血があった時は即入院と聞き、毎日を穏やかに…暮らしたいところだけど、ドキドキしながら普段通りに生活をする。でも何かあって後悔したくないと思い、積極的に身体を動かすことはしない日々。

2月20日の午前中、予定通り手術→元気な女児がこの世に生を受ける。同時に「改めて母になったのねぇ」などと感慨深く思う…よりも、「やっとお腹が軽くなった(TmT)」って気持ちの方が強かった(苦笑)その後、入院中は授乳が上手く出来ず、看護師さんからの言葉1つ1つに泣く。目が腫れ上がりすぎて人相が変わる。この時だったら身分証明書見せても絶対に信じてもらえなかっただろう自信がある!


2020年3月〜7月

正直なところ、その時その時は「明けない夜はない」と思いながら、慣れない育児に涙する毎日。我が子は可愛いけど、泣いたら何をしてあげれば良いか分からない、思いつくことを全てやっても全くどうしようもないことも多々。そして贅沢な話だけど、旦那氏がとても協力的で、取りつく島もない娘に夜中でも笑顔で対応してたりする様子を見て「私全然お母さん出来てない。旦那氏の方がすごい」と自信がなくなっていた←完璧主義ってこれだから困るぅ(苦笑)

これが「産後うつ」にまで発展し、「死ぬのは怖いから死にたくないし、娘を放っておいて死ぬとか失礼極まりないし、てかこの時まで『死ぬの怖い』って自分優先やなぁ〜ってか、とりあえずここから消えたい」ってばかり思ってました。”死ぬの怖いエゴ”が自殺を思い留めてるわけですが、この時ばかりは自分勝手さに助けられました…。


ほいでもって周りは娘のことばかりなんですよねぇ…確かに可愛いし、一生懸命生きてるし、注目されるのは分かるんだけど「私だって頑張ってるんだけどなぁ」の気持ちがいよいよ爆発します。爆発時に旦那氏に叫びながら投げたセリフは


私を崇め奉れ


数秒後、幼少時に憧れた乙女座のシャカ(by 聖闘士星矢)のセリフやんかと自分で自分にツッコミを入れる余裕が出来たことに気づく←やはりノリで生きていける蟹座だわ🦀


2020年8月以降〜現在

旦那氏が崇め奉ってくれる、完璧な母はいない(自論ですよ)、周りが何言っても自分は自分、なんか言われたら「なんでお前がそれ言うんかって。意味分からん。どやすぞ」くらいの勢いで生活することが出来るようになる←昔から開き直ったら超サイヤ人を凌駕するタイプでよかった。

そして、6月頃から復帰していた仕事もリズムが出来、義実家の協力を得て無事に育児と両立出来ています。

こんな感じだったので、私の中では本当に「時間が経つ」こと自体を意識することがほとんどなく、世の中のお母さんたちもこんな感じなのかな〜なんて思いながら今に至ります。



このシリーズは高齢出産・ハイリスク妊娠・産後うつと経験してきた自分の備忘録ではありますが、読んだ方の何かの参考になればなぁ…と思っています。




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